COLUMN
7.52021
いじめについて深堀。
イメージ写真:ぱくたそ(www.pakutaso.com)
この記事は泉谷が書いています。
いじめについてはよく考えます。
障害児へのいじめは、今も昔も健常よりもちょっと多めにあるように感じているからなのですが、その考えたことを自分の身の回りの参考にする感じでした。とは言え、いじめ問題はそもそも障害の有無にかかわらずにあることなので私にとっての考えるきっかけということです。
でも、今回コラムにしようと思ったのは、自分の娘が”からかい”程度ですが被害者となったことです。
そんなきっかけで良い社会になるような一助になるか!?
そんな思いで記事にします。
私も不安を感じているので若干愚痴のようになっていたらすみません。
さらに、、、いきなりの言い出しからすみませんが、、、、、、
現場に私がいなかったので何とも言えないお話です(汗)
お付き合いください。
あらすじ
娘は、ダウン症で療育判定A、巷で話題の癒し系かわいい女の子です。(けっして親補正ではなく周りの評価です)
その娘が、忠和公園の遊具で遊んでいるときにいじめにあったそうです。
小学校高学年くらいの子に、殴る真似をされたり、つり橋の様な遊具の下から遊具を揺らされたりしたそうです。
娘をいじめた子が悪い!ということではなく、やはり人間の本能でいじめというのが楽しいことなのでしょうね。
その子は娘とはあったことも無いと思うので恨んでるとかもないでしょうし。
多分、同じ場所で遊んでいて、変だな?会話が通じないぞ?
とかそんな所から、からかいに発展したのではなかろうか?
親としては見つけ出して小一時間説教したいところですが、、、。
そうではなく、いじめが快楽になりエスカレートしていかないようにするにはってところに力を注ぐべきではないかと思いました。
また、本能で排除する気持ちもあると思います。
種の保存でいうと、より多くの生き残りが必要で、高度な文明になればなるほど生き残れるようになる。
その観点から言うといじめている子の方が
あれ?いじめている自分たち側が弱者になっちゃうかも・・・。と考えられます。
さて、さて、
私たちの歩むべき道は・・・。しっかりと注意していくのはもちろんですが、やはり普段からお互いに接点を持つことではないかなと思います。
学校に特別支援教室も出来て、以前より障害者への理解が進んでいるとも感じますが、まだまだスタートラインが違います。
余談
外で遊ぶときは注意深く娘を見守って他の子に迷惑をかけそうだったりしたときは遊びを止めて、別の遊びに気をそらせたり、娘が理解できることは再びチャレンジしていたりします。
というのも、外でということは障害の理解が無いところ、また相手がどんな子かもわからないそんな要素が満点なのでそのように気を付けています。
というのも、外でということは障害の理解が無いところ、また相手がどんな子かもわからないそんな要素が満点なのでそのように気を付けています。
最近は、娘から知らない子が遊んでいるところに「いーれーて」といって遊びの輪に入ろうとするのですが、「いいよ~、お名前は?」と返答されても娘は「・・・・・・」うーんもう一歩だな・・・。 ということで、聞かれたら自分の名前が言えるようにする練習中です。
因みに親が聞くとしっかりと答えられるのですが、お友達に言われると何を言われているのかが分からないのでしょう。
一緒に遊んで
一緒に学べる。
スポーツだったり。
趣味だったり。
そんなことを親も楽しめるようにしていければな~と思う今日この頃でした。
そうそう、これも大切
学校の問題だけではない。
よくいじめ問題って学校がどうのこうのとなりがちですが、
もちろん学校内での問題もあると思いますし、逆に放課後と言えばもう学校ではないですよね。
これは社会全体の問題です。 私たちの問題だ考えています。
多くの問題は社会で起こっているのだと思います。
学校はその一部でしかないのではないでしょうか。
学校に甘いことを言っているわけではなく
全てのことは、時には警察とか司法の判断もしかり加えていけるような、みんなで考える
先に進まないと感じています。
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